インペレーターと名のる紀元前五世紀の霊が、英国の牧師だったモーゼスの腕を借りて(自動書記と呼ばれる方法)、キリスト教の間違いを指摘しながら十年間にわたって霊的教訓をつづったものです。
自分の腕を使って、自分の信仰とまっ向から対立する思想をつづる目に見えない存在を相手に、熾烈にして壮絶な論争を延々十年にもわたって続けています。
「モーゼスの霊訓(上)」(コスモ・テン・パブリケーション)
「モーゼスの霊訓(中)」(コスモ・テン・パブリケーション)
「モーゼスの「霊訓」〈下〉 (TEN BOOKS)」(コスモ・テン・パブリケーション)
※絶版のようです。
・本文(上)より
人間は霊界へ来たからとて、地上時代といささかも変わるものではありません。
その好み、その偏執、その習性、その嫌悪感をそのまま携えてくるのです。
変わるのは肉体を棄てたということだけです。
低俗な趣味と不純な習性をもつ魂が、肉体を棄てたくらいでその本性が変わるはずはありません。
それは、誠実にして純真な向上心に燃える魂が、死と同時に俗悪な魂に一変することが有りえないのと同じです。
そなたがそれくらいのことを知らずにいることこそ、われわれにとっては驚異です。
考えてもみられよ。
純粋にして高潔な魂が、視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できるであろうか。
しかるに、あなたがたキリスト者は、神を憎み、善に背を向け、肉欲に溺れた罪深い魂も、懺悔一つで清められた天国へ召されると説かれる。
前者が有りえないごとく後者も絶対にあり得ません。
魂の成長は一日一日、一刻一刻の歩みによって築かれるのです。
すぐに剥げ落ちる上塗りではないのです。
魂の本性に織り込まれ、切り離そうにも切り離せない一部となりきること、それが向上であり成長というものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿