<近藤さんの本の紹介>
○「シルバーバーチの霊訓〈10〉」(潮文社)
・本文 より
質問:自殺をすることまで計画されていることがるというのは本当でしょうか。
「とんでもありません!計画というのは母胎に宿る以前に霊自身によって立てられるのです。」
質問:自殺行為によって学べる教訓は何一つ無いということでしょうか。
「あるわけがありません!生命は宇宙の大霊が授けるのです。それを縮める権利は人間にはありません。」
○「シルバーバーチの霊訓〈11〉」(潮文社)
・本文 より
私がいつも強調していること - むろん聞く耳を持つ人に対してのことですが - 物的なものは実在の投影もしくは殻にすぎないということです。
物質は霊によって活力を与えられているからこそ存在しているのです。
霊が正常であれば、つまり霊と精神と身体とが調和して機能しているかぎり、物的生活に必要なものは必ず手に入ります。
○「シルバーバーチの霊訓〈12〉」(潮文社)
・本文 より
あなたの行為、あなたの活動、あなたの思念、要するにあなたの生活そのものがあなたという実在を形成していくのです。
その実在は肉眼では見えませんが、“死”の過程をへて肉体と永遠に訣別した瞬間から、それがまる裸にされます。
それ以上に立派に見せることもできませんし、それ以下に惨めに見られることもありません。
地上生活によって形成された性格をそっくりたずさえて行くのです。
平凡な日常生活の中で培われた霊的資質こそあなたの永遠の財産となるのです。
○「古代霊は語る―シルバー・バーチの霊訓より」(潮文社)
・はじめに(近藤千雄):霊言集をないまぜにしながら、平たく分かり易く説いていく形で進めたいと考えます。
・本文 より
質問:地上の人間にとって完璧な生活を送ることは可能か否か、すべての人間を愛することが出来るか。
それは不可能なことです。
が、そう努力しなくてはいけません。
努力することそのことが、性格の形成に役立つのです。
怒ることもなく、辛く当たることもなく、腹を立てることもないようでは、もはや人間ではないことになります。
人間は霊的に成長することを目的としてこの世に生まれて来るのです。
成長また成長と、いつまでたっても成長の連続です。
それはこちらへ来てからも同じです。
日本のスピリチュアリズム普及に大きな貢献をされた近藤千雄さんの訳書や著書を紹介します。 「死んだらどうなる?」「あの世ってある?」「霊やおばけっているの?」「神様はいるの?」「スピリチュアリズムって何?」「なぜ自殺はだめなの?」
2017年3月29日水曜日
2017年3月28日火曜日
シルバーバーチの霊訓 その4
<近藤さんの本の紹介>
○「シルバーバーチの霊訓〈6〉」(潮文社)
・本文 より
「責任は個々において背負うというのが摂理です。摂理のもとにおいては、あなたは他人の行為に責任を負うことはありません。」
「原因と結果の法則は容赦なく展開していきます。その因果関係に干渉できる人はいません。」
○「シルバーバーチの霊訓〈7〉」(潮文社)
・本文 より
「私がこれまで送ってきた生活において、“自分は紙の法則によって埠頭に扱われているー不公平だ”と真剣に言える者を一人も知りません。私の知るすべての者が紙の永遠の公正はその規模において無限であり、その適用性において完全であることを認めております。」
○「シルバーバーチの霊訓〈8〉」(潮文社)
・本文 より
質問:自殺者のそちらでの状態は不幸で、右も左も分からなくなり、みじめであるということですが、自殺する時の精神状態がすでにそうであったはずですから、死後も同じ状態に置かれても不思議はないと思うのです。では仮りに真のよろこびと幸せを感じながら自殺したらどうなるでしょうか。
「その場合は動機が自己中心的ということになります。自然の摂理をごまかすことはできません。こればかりは例外がありません。蒔いたものは自分で刈り取らねばなりません。それ以外にありようがないのです。動機がすべてを決定づけます。その時点において良心が善いことか悪いことかを告げてくれます。もしそこで言い訳をして自分で自分をごまかすようなことをすれば、それに対して責任を取らされることになります。」
○「シルバーバーチの霊訓〈9〉」(潮文社)
・本文 より
事態を改善するよりも悪化させるようなことは、いかなる魂に対してもお勧めするわけにはまいりません。
自殺行為によって地上生活に終止符を打つようなことは絶対にすべきではありません。
もしそのようなことをしたら、それ相当の代償を支払わねばならなくなります。
それが自然の摂理なのです。
地上の誰一人として、何かの手違いのためにその人が克服できないほどの障害に遭遇するようなことは絶対にありません。
むしろ私は、その障害物はその人の性格と霊の発達と成長にとって必要だからこそ与えられているのですと申し上げたいのです。
苦しいからといって地上生活にさよならをしても、その苦しみが消えるわけではありません。
それは有り得ないことです。
またそれは摂理に反することです。
地上であろうと霊界であろうと、神の公正から逃れることはできません。
なぜならば、公正は絶対不変であり、その裁定はそれぞれの魂の成長度に合わせて行われるからです。
○「シルバーバーチの霊訓〈6〉」(潮文社)
・本文 より
「責任は個々において背負うというのが摂理です。摂理のもとにおいては、あなたは他人の行為に責任を負うことはありません。」
「原因と結果の法則は容赦なく展開していきます。その因果関係に干渉できる人はいません。」
○「シルバーバーチの霊訓〈7〉」(潮文社)
・本文 より
「私がこれまで送ってきた生活において、“自分は紙の法則によって埠頭に扱われているー不公平だ”と真剣に言える者を一人も知りません。私の知るすべての者が紙の永遠の公正はその規模において無限であり、その適用性において完全であることを認めております。」
○「シルバーバーチの霊訓〈8〉」(潮文社)
・本文 より
質問:自殺者のそちらでの状態は不幸で、右も左も分からなくなり、みじめであるということですが、自殺する時の精神状態がすでにそうであったはずですから、死後も同じ状態に置かれても不思議はないと思うのです。では仮りに真のよろこびと幸せを感じながら自殺したらどうなるでしょうか。
「その場合は動機が自己中心的ということになります。自然の摂理をごまかすことはできません。こればかりは例外がありません。蒔いたものは自分で刈り取らねばなりません。それ以外にありようがないのです。動機がすべてを決定づけます。その時点において良心が善いことか悪いことかを告げてくれます。もしそこで言い訳をして自分で自分をごまかすようなことをすれば、それに対して責任を取らされることになります。」
○「シルバーバーチの霊訓〈9〉」(潮文社)
・本文 より
事態を改善するよりも悪化させるようなことは、いかなる魂に対してもお勧めするわけにはまいりません。
自殺行為によって地上生活に終止符を打つようなことは絶対にすべきではありません。
もしそのようなことをしたら、それ相当の代償を支払わねばならなくなります。
それが自然の摂理なのです。
地上の誰一人として、何かの手違いのためにその人が克服できないほどの障害に遭遇するようなことは絶対にありません。
むしろ私は、その障害物はその人の性格と霊の発達と成長にとって必要だからこそ与えられているのですと申し上げたいのです。
苦しいからといって地上生活にさよならをしても、その苦しみが消えるわけではありません。
それは有り得ないことです。
またそれは摂理に反することです。
地上であろうと霊界であろうと、神の公正から逃れることはできません。
なぜならば、公正は絶対不変であり、その裁定はそれぞれの魂の成長度に合わせて行われるからです。
2017年3月22日水曜日
シルバーバーチの霊訓 その3
<近藤さんの本の紹介>
○「シルバーバーチの霊訓〈3〉」(潮文社)
・解説 より
人類は太古よりいずこの民族でも“死んでもどこかで生き続けている”という漠然として信仰を抱いてきた。
本来が霊的存在であることが分かってみればそれは当然のことと言えるが、従来はそれが“信仰”という形で捉えられ、しかも地上での生身の生活が実在で、死後の世界は形体も実質もない世界であるかのように想像したり、地獄や極楽、天国といった人間の恐怖心や願望から生まれるものをそれに当てはめていたが、所詮はそう思う、そう信じるといった程度のものに過ぎなかった。
それが19世紀半ばに至って、各種の超常現象、いわゆる心霊現象が五感で確認できる形で実験・観察できるようになり、それによって“霊”の存在が信仰から事実へと変わり、その“霊”からのメッセージによって死後の世界の真相が次から次へと明かされていった。
○「シルバーバーチの霊訓〈4〉」(潮文社)
・まえがき より
シルバーバーチは宗教とは互いに扶助し合うことに尽きると言う。
神とは自然法則であり、腹を立てたり復讐心をむき出しにする人間的な神ではないと説く。
○「シルバーバーチの霊訓〈5〉」(潮文社)
・質問に答える
<でも戦死していく者は苦痛を味わうのではないでしょうか。>
苦しむ者もいれば苦しまない者もいます。
一人ひとり違います。
死んでいるのに戦い続けている人がいます。
自分の身の上に何が起きたかが分からなくて迷う者もいます。
が、いずれも長くは続きません。
いずれ永遠への道に目覚めます。
むろん寿命を全うして十分な備えをした上でこちらへ来てくれるに越したことはありません。
しかし、たとえそうでなくても、肉体という牢獄に別れを告げた者のために涙を流すことはおやめになることです。
その涙はあとに残された人のために取っておかれるがよろしい。
こう言うと冷ややかに聞こえるかも知れませんが、とにかく死は悲劇ではありません。
○「シルバーバーチの霊訓〈3〉」(潮文社)
・解説 より
人類は太古よりいずこの民族でも“死んでもどこかで生き続けている”という漠然として信仰を抱いてきた。
本来が霊的存在であることが分かってみればそれは当然のことと言えるが、従来はそれが“信仰”という形で捉えられ、しかも地上での生身の生活が実在で、死後の世界は形体も実質もない世界であるかのように想像したり、地獄や極楽、天国といった人間の恐怖心や願望から生まれるものをそれに当てはめていたが、所詮はそう思う、そう信じるといった程度のものに過ぎなかった。
それが19世紀半ばに至って、各種の超常現象、いわゆる心霊現象が五感で確認できる形で実験・観察できるようになり、それによって“霊”の存在が信仰から事実へと変わり、その“霊”からのメッセージによって死後の世界の真相が次から次へと明かされていった。
○「シルバーバーチの霊訓〈4〉」(潮文社)
・まえがき より
シルバーバーチは宗教とは互いに扶助し合うことに尽きると言う。
神とは自然法則であり、腹を立てたり復讐心をむき出しにする人間的な神ではないと説く。
○「シルバーバーチの霊訓〈5〉」(潮文社)
・質問に答える
<でも戦死していく者は苦痛を味わうのではないでしょうか。>
苦しむ者もいれば苦しまない者もいます。
一人ひとり違います。
死んでいるのに戦い続けている人がいます。
自分の身の上に何が起きたかが分からなくて迷う者もいます。
が、いずれも長くは続きません。
いずれ永遠への道に目覚めます。
むろん寿命を全うして十分な備えをした上でこちらへ来てくれるに越したことはありません。
しかし、たとえそうでなくても、肉体という牢獄に別れを告げた者のために涙を流すことはおやめになることです。
その涙はあとに残された人のために取っておかれるがよろしい。
こう言うと冷ややかに聞こえるかも知れませんが、とにかく死は悲劇ではありません。
2017年3月21日火曜日
シルバーバーチの霊訓 その2
私は、死んだら無になるのがいいと思っていました。
この世の楽しかったことも、苦悩も、無念な死であっても何も自分の中に残らないのだから、何も引きずってしまうことはないのだから、これほど楽なことはないと思っていました。
そして、小さい頃から“おばけ”が怖かったこともあります。
死後にそんな怖い世界に行くのはイヤでした。
そんな私に、兄が読むのを勧めてくれたのが「私は霊界を見て来た」(エマニュエル・スウェデンボルグ)という本でした。
いつ頃かよくは覚えていないのですが、高校生くらいだったように思います。
「読んでよかったと思う?」
「うん。」
ということで、読んでみました。
内容は、私の希望と違って、「死後の世界」は存在するというもの。
そして、その世界では調和の取れた、穏やかな生活がなされている、というものでした。
その後、兄は私に「シルバーバーチ」を手渡してくれ、この本をきっかけとして近藤千雄さんを知り、自分でも彼の本を買って読むようになりました。
<近藤さんの本の紹介>
○「シルバーバーチの霊訓〈2〉」(潮文社)
・まえがき より
このようにシルバーバーチはすべての人間の悩みに同情して親身になってくれるが、その悩みを肩代わりしてくれることは絶対にない。
考えてみると、もしも私たちの悩みをシルバーバーチが全部取り除いてくれたら、私たちは性格も個性もないロボットになってしまうであろう。
私たちはあくまでも自分の理性的判断力と自由意思を行使しなくてはならないのである。
そうは言うものの、私たちはどっちの道を選ぶべきかでよく迷うものである。
そんな時シルバーバーチはこう私たちに尋ね返してその処置へのヒントを与えてくれる。
「そうなさろうとするあなたの動機は何でしょうか。」
「大切なのはその動機です。」
この世の楽しかったことも、苦悩も、無念な死であっても何も自分の中に残らないのだから、何も引きずってしまうことはないのだから、これほど楽なことはないと思っていました。
そして、小さい頃から“おばけ”が怖かったこともあります。
死後にそんな怖い世界に行くのはイヤでした。
そんな私に、兄が読むのを勧めてくれたのが「私は霊界を見て来た」(エマニュエル・スウェデンボルグ)という本でした。
いつ頃かよくは覚えていないのですが、高校生くらいだったように思います。
「読んでよかったと思う?」
「うん。」
ということで、読んでみました。
内容は、私の希望と違って、「死後の世界」は存在するというもの。
そして、その世界では調和の取れた、穏やかな生活がなされている、というものでした。
その後、兄は私に「シルバーバーチ」を手渡してくれ、この本をきっかけとして近藤千雄さんを知り、自分でも彼の本を買って読むようになりました。
<近藤さんの本の紹介>
○「シルバーバーチの霊訓〈2〉」(潮文社)
・まえがき より
このようにシルバーバーチはすべての人間の悩みに同情して親身になってくれるが、その悩みを肩代わりしてくれることは絶対にない。
考えてみると、もしも私たちの悩みをシルバーバーチが全部取り除いてくれたら、私たちは性格も個性もないロボットになってしまうであろう。
私たちはあくまでも自分の理性的判断力と自由意思を行使しなくてはならないのである。
そうは言うものの、私たちはどっちの道を選ぶべきかでよく迷うものである。
そんな時シルバーバーチはこう私たちに尋ね返してその処置へのヒントを与えてくれる。
「そうなさろうとするあなたの動機は何でしょうか。」
「大切なのはその動機です。」
2017年3月19日日曜日
シルバーバーチの霊訓
モーリス・バーバネルという霊媒を通じて、週1回の割で50年余りも語り続けた、今からほぼ3000年前にこの地上で生活したことのある霊の言葉をまとめたものです。
以下、「人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅」より
では、そのシルバーバーチの霊言の中から特徴のよく出ている箇所を2,3紹介してみよう。
「人間は肉体をたずさえた霊であって、霊をたずさえた肉体ではありません。肉体は霊が宿っているからこそ存在することができるのです。それは神の火花であり、すべての存在に内在しており、すべての生命を通して顕現しているのです。」
「死んで間もない段階では、地上にいた時と少しも変わりません。肉体を捨てたというだけのことです。個性は同じです。性格も変わっておりません。習性も特徴も性癖も、そっくりそのままです。利己的な人は相変わらず利己的です。欲ぶかい人間は相変わらず欲ぶかです。無知な人は相変わらず無知のままです。落ち込んでいた人は相変わらず落ち込んだままです。しかし、そのうち霊的覚醒の課程が始まります。」
「人間は物的身体という牢の中で生活しています。その牢には小さな隙間が5つあるだけです。それが五感です。みなさんはその身体のまわりで無数の現象が起きていても、その目に見え、その耳に聞こえ、その肌に触れ、その舌で味わい、その鼻で嗅ぐことのできるもの以外の存在は確認できません。ですが、実際にその身体のまわりで無数の生命活動が営まれているのです。見えないから存在しないと思ってはいけません。人間の五感では感知できないというにすぎません。」
<近藤さんの本の紹介>
○「シルバーバーチの霊訓〈1〉」(潮文社)
・まえがきにあるバーバネルのことば
年がら年中ものを書く仕事をしている人間から観れば、毎週毎週ぶっつけ本番でこれほど叡智に富んだ教えを素朴な雄弁さでもって説き続けるということ、それ自体がすでに超人的であることをしめしている。
ペンで生きている他のジャーナリスト同様、私も平易な文章ほど難しいものはないことを熟知している。
誰しも単語を置き換えたり消したり、文体を書き改めたり、字引や同義語辞典と首っぴきでやっと満足の行く生地が出来あがる。
ところがこの“死者”は一度も言葉に窮することなく、すらすらと完璧な文章を述べていく。
その一文一文に良識が溢れ、人の心を鼓舞し、精神を昂揚し、気高さを感じさせる。
シルバーバーチの言葉には実にダイヤモンドの輝きにも似たものがある。
ますます敬意を覚えるようになったこの名文家、文章の達人に私は最敬礼する。
・一節を紹介
あなたがた地上の人間にとっての大きな問題点は、やむを得ないことかもしれませんが、人生というものを間違った視点から観ていることです。
つまり、あまりにもこの世的・物質的観点からのみ人生を考えていることです。
人生には確かに地上的な要素がありますが、同時に霊的にものであり、永遠に続くものなのです。
その永遠なるものを地上的視点だけで眺めてはいけません。
それでは十全な判断はできません。
神の子には、一人の例外もなく、善悪ともに“埋め合わせ”の原理が働くのですが、地上生活のみで判断しようとすると全ての要素を考慮することができなくなります。
以下、「人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅」より
では、そのシルバーバーチの霊言の中から特徴のよく出ている箇所を2,3紹介してみよう。
「人間は肉体をたずさえた霊であって、霊をたずさえた肉体ではありません。肉体は霊が宿っているからこそ存在することができるのです。それは神の火花であり、すべての存在に内在しており、すべての生命を通して顕現しているのです。」
「死んで間もない段階では、地上にいた時と少しも変わりません。肉体を捨てたというだけのことです。個性は同じです。性格も変わっておりません。習性も特徴も性癖も、そっくりそのままです。利己的な人は相変わらず利己的です。欲ぶかい人間は相変わらず欲ぶかです。無知な人は相変わらず無知のままです。落ち込んでいた人は相変わらず落ち込んだままです。しかし、そのうち霊的覚醒の課程が始まります。」
「人間は物的身体という牢の中で生活しています。その牢には小さな隙間が5つあるだけです。それが五感です。みなさんはその身体のまわりで無数の現象が起きていても、その目に見え、その耳に聞こえ、その肌に触れ、その舌で味わい、その鼻で嗅ぐことのできるもの以外の存在は確認できません。ですが、実際にその身体のまわりで無数の生命活動が営まれているのです。見えないから存在しないと思ってはいけません。人間の五感では感知できないというにすぎません。」
<近藤さんの本の紹介>
○「シルバーバーチの霊訓〈1〉」(潮文社)
・まえがきにあるバーバネルのことば
年がら年中ものを書く仕事をしている人間から観れば、毎週毎週ぶっつけ本番でこれほど叡智に富んだ教えを素朴な雄弁さでもって説き続けるということ、それ自体がすでに超人的であることをしめしている。
ペンで生きている他のジャーナリスト同様、私も平易な文章ほど難しいものはないことを熟知している。
誰しも単語を置き換えたり消したり、文体を書き改めたり、字引や同義語辞典と首っぴきでやっと満足の行く生地が出来あがる。
ところがこの“死者”は一度も言葉に窮することなく、すらすらと完璧な文章を述べていく。
その一文一文に良識が溢れ、人の心を鼓舞し、精神を昂揚し、気高さを感じさせる。
シルバーバーチの言葉には実にダイヤモンドの輝きにも似たものがある。
ますます敬意を覚えるようになったこの名文家、文章の達人に私は最敬礼する。
・一節を紹介
あなたがた地上の人間にとっての大きな問題点は、やむを得ないことかもしれませんが、人生というものを間違った視点から観ていることです。
つまり、あまりにもこの世的・物質的観点からのみ人生を考えていることです。
人生には確かに地上的な要素がありますが、同時に霊的にものであり、永遠に続くものなのです。
その永遠なるものを地上的視点だけで眺めてはいけません。
それでは十全な判断はできません。
神の子には、一人の例外もなく、善悪ともに“埋め合わせ”の原理が働くのですが、地上生活のみで判断しようとすると全ての要素を考慮することができなくなります。
2017年3月18日土曜日
近藤千雄さんの紹介
私は、『死後の個性存続』ということを信じています。
信じるというか、私にとってはそれが『事実』であるという思いです。
こういう思いに至ったのは、近藤千雄さんの本に出会ったからこそであり、それをとてもありがたく思っています。
なぜなら、この世の中の不都合と感じていたものが、私の中では解決できたからです。
死後の世界があることで、享楽主義や、他人の迷惑を考えない利己的な行為が間違いであることを証明してくれるからです。
「自分の播いた種は必ず自分で刈り取らなければならない」ということが、永遠に続いていくことに、大いに納得し、そのことがこの世の中を生きやすくさせてくれました。
苦労や苦痛を他人のせいにせずに、与えられた『この世の生』を、一生懸命に安心して過ごすことができるようになりました。
まだまだ、未熟なので腹を立てたり、不安を感じたりすることもある毎日ではありますが、根底に安心感・確信があります。
それを、私の言葉でお伝えしようと思ってもうさんくさいだけだろうし、文章のまずさで言葉足らずになってもしまうと思うので、近藤さんの本を紹介しようと思って、このブログを作成することにしました。
なお、近藤さんの生前に、手紙のやりとりをさせていただき、本の内容をホームページに掲載することを許可していただいたことがあるので、問題はないと思っていますが、もし何か問題等がありましたら、お知らせください。
すぐに対処いたします。
※こちらで紹介している本は、アマゾンのアフィリエイトのリンクになっています。
このリンクから本を購入されますと、私に紹介料が入る仕組みです。
[近藤千雄]
1935年生まれ。
高校生になって英語に興味を持つ。
高校3年の頃、霊能者間部詮敦(まなべあきあつ)氏と出会う。
彼を通じて、スピリチュアリズムと出会い、浅野和三郎の本と出会って、大学で原書を読むことを決意し、明治学院大学英文学科に進学。
1年次に英書購読担当教授の自宅で、スピリチュアリズムの原書を借りて初めて読むことができ、3年次の講座でシェークスピアの講義を聴き翻訳の極意に触れ、4年次に翻訳論を専攻。
以来、スピリチュアリズムに関する翻訳・著作を続ける。
2012年逝去。
「人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅」(ハート出版)より
信じるというか、私にとってはそれが『事実』であるという思いです。
こういう思いに至ったのは、近藤千雄さんの本に出会ったからこそであり、それをとてもありがたく思っています。
なぜなら、この世の中の不都合と感じていたものが、私の中では解決できたからです。
死後の世界があることで、享楽主義や、他人の迷惑を考えない利己的な行為が間違いであることを証明してくれるからです。
「自分の播いた種は必ず自分で刈り取らなければならない」ということが、永遠に続いていくことに、大いに納得し、そのことがこの世の中を生きやすくさせてくれました。
苦労や苦痛を他人のせいにせずに、与えられた『この世の生』を、一生懸命に安心して過ごすことができるようになりました。
まだまだ、未熟なので腹を立てたり、不安を感じたりすることもある毎日ではありますが、根底に安心感・確信があります。
それを、私の言葉でお伝えしようと思ってもうさんくさいだけだろうし、文章のまずさで言葉足らずになってもしまうと思うので、近藤さんの本を紹介しようと思って、このブログを作成することにしました。
なお、近藤さんの生前に、手紙のやりとりをさせていただき、本の内容をホームページに掲載することを許可していただいたことがあるので、問題はないと思っていますが、もし何か問題等がありましたら、お知らせください。
すぐに対処いたします。
※こちらで紹介している本は、アマゾンのアフィリエイトのリンクになっています。
このリンクから本を購入されますと、私に紹介料が入る仕組みです。
[近藤千雄]
1935年生まれ。
高校生になって英語に興味を持つ。
高校3年の頃、霊能者間部詮敦(まなべあきあつ)氏と出会う。
彼を通じて、スピリチュアリズムと出会い、浅野和三郎の本と出会って、大学で原書を読むことを決意し、明治学院大学英文学科に進学。
1年次に英書購読担当教授の自宅で、スピリチュアリズムの原書を借りて初めて読むことができ、3年次の講座でシェークスピアの講義を聴き翻訳の極意に触れ、4年次に翻訳論を専攻。
以来、スピリチュアリズムに関する翻訳・著作を続ける。
2012年逝去。
「人生は本当の自分を探すスピリチュアルな旅」(ハート出版)より
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